「他人と理解し合える」という前提を持たないこと
私たちが生きていくためには、他者と関わり合う必要がある。
誰とも関わらず生きる、なんてできない。
仕事が嫌という理由の多くが人間関係というのは、自分が分かり合えると思う人が少ないことに理由があると思う。
時には、苦手な相手とも関わらないといけないこともある。
よほどお金があって、生きるためのことを全てお金に物を言わせて得るという生き方もあるかもしれませんが、そんな人は稀。
恋人が欲しいと思い、人と関わるためにたくさんの人がお互いを理解しようと出会う。
社会の中で生きていくために、大切な心構えとして、人と理解し合えるとそもそも思わない事が大切だと思う。
例えば、平気で困っている人を無視する人、例えば目の前で誰かに殴られて倒れた人がいたら助けるだろう。また、人を殺す人などは、全く理解ができない人。
これは客観的に見て、良くないことだろう。
その他、アニメにハマる人や、高い車を買う人の気持ちはよくわからない。
こうした事は、特にいい悪いはない。
話ししていても、合わないと思う人は沢山いる。
なんで、この人はこうなんだ?という思い。
しかし、人はそもそも生物学的に違うもので、生まれながらに気質が違う。好きな食べ物が違うとか、そうしたことは、もはや自分でコントロールできない。
さらに、子供の頃どんな親と過ごしたか、教育を受けたか、また、どれだけ勉強してきたかなど、千差万別の人生を歩んでいる。
○○な人じゃないと嫌 というのは、そうした要素が絡み合って生まれている。
そう考えると、そもそも理解し合える人に会うことの方が珍しいように思える。
なんで、この人は自分の思いがわからないんだろう、否定するのだろう?
そう思ったら、これはそもそも理解し合える方が珍しいのだから、まあいいやと考えた方がよほど建設的だ。
さらに言えば、自分の考えが正しくないという事もある。
自分の考えが正しくなければ、そもそも間違っているのだから理解なんてし合えない。
そこで、
①まず人と理解し合えるという考えを持たないこと
②自分の考えが本当に正しいかを考えること
こうした心構えを持つことで、いくぶん生きやすくなる。
この人はなんでこうなんだろう?治らないかな?なんて思うだけ無駄な場合が多い。
特に自分の身内でなければ、変えることは難しい。
だからこそ、時には諦めて極力近寄らないような努力が必要なのではないだろうか。