お金の正体を明らかにする①
今週末も、部屋を掃除して、外で歩いたり走ったりして、今後の人生について考えたりして過ごした。
その中で頭に浮かんでくるのはやはりお金。
お金の正体を明らかにする事が大切だと感じた。
お金と一言で表現できるけれども、シンプルにこれだ!と一言でまとめるのは実は難しい。
そもそも、大半の人は、私も含めて人生の時間をお金を得る為に働いたりと、費やしている。それなのにお金のことをきちんと理解出来ていないというのはなんだか変だと思ったから。
世間ではボーナスが話題になっている頃だ。
自分もボーナスを貰う。
ちなみに、もう何十万もするもので自分に必要なものは無いので、よくあるボーナスで何かを買うということはない。使い道についてはよくよく考える。
ボーナスが多い少ない、それは人それぞれ。
何となく、まだ完璧に言語化できていないが、自分が想像している具体的なお金というものは「ない」と理解する事が大切だと思っている。
よくある話が、一万円には数十円の価値しかないというもの。
なので、その紙に一万円の価値があると皆が思い込んでいるだけで、本当はその価値はない。
ここで、価値 というものを考えみる。
私にとって、ベンツやらフェラーリやらの高級車は、モノで他人に凄いと思わせるという為にあると思っている。しかしそんな必要性もなければ、そんなことがかっこいいと到底思わないので、100万円でも買わない。
しかし、世の中の人が、100万円で買えると聞いたら、即買うだろう。500万円でも安いと思うのかもしれない。
(今回は、転売目的というのはなしで)
このように、お金というのは、とてもあやふやなものであるといえる。
こうした車に、正当な価格というのは存在しない。
リンゴが2個あるのは2個だが、
価値というのは受け手にとって大幅に変動するもの。お金というものは、こうした側面が強いと思う。
お金というものは、よく分からないものなのだ。
子供はなぜお金を稼がなくても生きていけるのか?それは親にとって価値があるから、食べさせてもらえるし、もっと言えば国にとっても、国を支える将来の人材だから、義務教育を安いコストで受けることができる。
このように、お金というものは、価値と絡んで、必要になったり必要にならなかったりする。
よく言われる、お金とは信用なのだという言葉は、お金とは価値なのだとも言える。
価値を数値化したものだ。
なので、仮にお金を沢山持っていても、それが無くなれば、生きて行くのが難しい。
反対に、さまざまな価値を持っていれば、お金がなくても生きていける。
食べる為にはお金がいるというのは、一見正しい様に見えるけれども、実際には、食べものを生産する過程に携わっている人にお金を渡しているだけで、仮にお金を渡すという以外の価値を相手に渡せるのならば、お金がなくても食べられる。
そう考えると、ただお金を稼ぐと単純に考えるのではなく、やはり価値を感じてもらえるような何かを持つことが本質的だと思う。
お金というものに対して、様々な考えをして、書き出すことでより具体的に理解を深めていこうと思う。