「必要なものは全て持っている」という豊かさに気付く
「必要なものは全て持っているから、他に欲しいものは特にない」
最近、こう思うことが多いです。
たとえ給料が2倍に増えたとしても、新たに買おうと思うものがありません。
数ヶ月前に、10万以上するパソコンと時計を購入しました。
しかし、大金を払った割には、そこまで大きな満足感を得ることは出来ませんでした。
「もっと違うものにすれば良かったな・・・」
「実際使ってみたら意外にここがちょっと気に入らないな」
でも、何かを買えば大抵そう思ったりする。
おそらく、50万円のものを買っていても、あまり変わらないでしょう。
あったら嬉しいけど、なくても全然問題なし。
街中のショッピングセンターに行って、溢れんばかりの商品を見ても、あえて大金を払ってまで欲しくない。
高級外車に乗って、周りの人に注目されたいとも思わないし、そもそも持たない方が自由だったりする。
とても高価で美味しいものを食べれば、その時は幸せになれるかもしれないけれど、栄養が100倍取れるわけでもないし、その場だけで幸せは終わり、また欲しくなる。
世の中で売っている物って、本当に生きるために「必要」では無いことが多い。
必要ではないものを買えないと嘆く必要は全くない。
買った物が、実は他人に自分の価値を認めてもらいたいがために買った不要なものであったりする。
しかし、ブランド物をいかに身につけようとも、それは単にお金があれば買えるもの。さらに言えば、人としての本当の「価値」とは、何を持っているかで測れるものでもない。
むしろ、物で価値を認めてもらおうとする行為が、自分という存在の価値を下げる、という考え方さえできるかもしれません。
物の力を借りて、自分の人格を磨こうとしなくなったり。
どんな物を持っているかよりも、どんな人間かの方が、自分にとっても相手にとっても価値がある。
そう考えてみると、人が生きるために必要なものはさほど多くないことに気づきます。
欲しいものを手に入れても、必ずしも幸せにはなれない。
「欲しいものが買えない」という貧しい気持ちから、豊かな気持ちへと変化させます。
「必要なもの」と、「欲しいもの」を分ける。
「必要なものは全て持っている」
それ以外は、あくまでおまけ。
おまけが手に入らないと、嘆く必要はない。
おまけに囚われる必要はない。
だからお金も貯まっていくし、そうしたら欲しいものを買う余裕も生まれるけれども、それはあくまでおまけであるから、買わないという選択もできる。
なんとなく消費する、ではなく、「必要なもの」に目を向ける。
本当に大切な必要なものを持っていることの豊かさ。
自分が本当に必要としているのは何なのか。
そう考えると、「身体的・精神的な豊かさ」であることが分かりました。
身体的・精神的に自由を感じられること
これが何よりの幸せ。
これを大切にして、そのために行動する。
自分の人生の指針を決める、大きな気付きであると、実感しています。