なぜお店で売っている食べ物は大量に捨てられているのに、貧困は無くならないのか?
私は貧困というテーマに敏感だ。
そのことについて考えない日は、あまりないような気がする。
それは、自分自身が、比較的貧しい家に育ったから、自分でその歯がゆさを味わっているからだ。
食べるものがなくて、お腹を空かせていた訳ではない。
安い生活の最低限で、それ以上のお金はほとんどないという状況だった。
これが欲しい!やりたい!と子供心ながら抱いたことは、できないことが多かった。
歯並びを治したくてたまらなかったが、お金が無くてできなかった。その影響で、私は顎の調子が良くない。今まで正しく噛めていなかった事に原因があるらしい。いずれ、30歳を超えてお金の余裕が出たら、治そうかと思っている。
私が歯並びを治せなかったのは、お金がないからだ。
そして、歯並びを治せた子は、お金がある家に生まれたからだ。
なんで、こんなに運によって変わってしまうんだ!?
そんなことを子供心ながら感じていた。
もちろん、大学の学費は奨学金をたんまり借りてまかなった。(今考えれば無理して大学に行かないという選択肢もあるのかもしれないが)
そして何より、金銭的な理由も要因の1つで、両親は仲が悪く、物心ついた頃から、離れて暮らしがちだった。
今は就職し、自立して人並みの暮らしをついに手に入れた。
もうそんな過去に固執する必要もない。
しかし、現実に自分以外の子供や、大人でも、こうした生まれたら貧困という問題に悩まされている人が山ほどいる。
自分の境遇よりはるかに厳しい人もいるだろう。
最も深刻なのは、実際に、親に殺される子供達がいるということだ。
物心もつく前に、殺されてしまう子供達はどんな気持ちなのだろう。
そしてそんな事をする気の狂った人間がいるということも、同じ人間として、とても悲しい。
こうした問題を解決する方法はあるのだろうか?
実際、ひどい親だとしても、そこから子供を助けるという行為は、なかなか難しいところもあるだろう。
世の中の問題には、根本的な解決が難しいものがたくさんある。
しかし、解決できる問題もあるし、問題に対して、それがなぜ起こっているのかをまず分析し、それに対する行動をとることはできるだろう。
そこで1つ、なぜ貧困がなくならないのかを考えてみようと思う。
そもそも貧困とは、生きるために必要なものが不足している状態だと思う。
イメージするのは、第二次世界大戦中、直後の日本。
そもそも食べるものが不足しているのだから、貧困といえる。
それから何十年も経ったいま、私たちの食べ物は不足しているのだろうか?
おそらく、不足していない。
むしろ、余っているように感じる。
日本中にあるスーパーやコンビニの食べ物は、賞味期限があり、それが切れたものは大量に廃棄される。
なのにもかかわらず、食べ物が満足に得られていない人達がたくさん日本ですらいる。
これは一体、どういう事なのか?
食べ物や、その他の資源が豊富にあるのに、それが人々の手元に全ては供給されずに、捨てられていく。
おそらく、今の状況は貧困ではない。むしろ豊かだ。しかし、人々の貧困は依然として残っている。
こんなおかしな事がなぜ起こるのだろうか?
理由はたくさんあるだろうけれども、私が思うに、「お金がないとモノを買えない」というシステムが未だに変わっていない事に原因があると思う。
そもそも、なぜまだ食べられる食べ物を大量に廃棄するのか?
それは、お金を払っていない人に、食べ物を渡したら、お金を払っている人が払わなくていいじゃないか!!となって、モノを売る者が儲からないからである。
物が売れなければ、儲からない。儲からなければ、生きるために必要な物が買えない。だから、捨てる。
つまり、余ったものを捨てたのは、お金を得る手段を残すために、捨てたのだ。
世の中では、こうした事が形を異としてまかり通っていると思う。
時代が進むにつれて、生産性が極端に高くなったので、今までの生産にかかった時間やコストが大幅に下がり、生産できる量も増えた。
これは、単純に喜ぶべき事だろう。
今までたくさんの人たちが働いてやっとみんなが食べられた世界が、その何十分の一のコストで達成できたのだから。
しかし、そうすると、今まで働いていた人はどうなるか?
そう、もうそんなに多くの人が働かなくて良くなる。つまり、解雇だ。
解雇とは言わずとも、新しい仕事にありつけばいい。
だが、現代はさらにそれがエスカレートし、人間よりも仕事を圧倒的にできる機械が生まれた。
なので、会社を営む人は、多少最初は高い機械でも、買った方が儲かるのだから導入するだろう。
こうなると、いよいよ人間の仕事は少なくなる。
仕事が少ないのだから、あぶれる。
お金がない。貧困になる。
では、こうした状況に対して、発展を止めるのがいいのか?
それは違うと思う。
より少ない労力で、生産ができるのはいい。
もっと進化させればいい。
変えるべきは、今まで通りの、とにかくお金がないとダメというシステムを変えて、それ以外のシステムを構築することで、テクノロジーの進化により、人間が労働から解放、ないしより少ない労働時間で良くするのがいいと思う。
そのための方法が、ベーシックインカム的な分配なのか、現物支給なのかはわからない。
しかし、そうした抜本的なシステムの改善を図らないと、今の貧困は無くならないと思う。
今のままだと、一部のものがどんどん豊かになり、他の大多数が貧困になるような気がする。
一部の豊かな人は、それ以外の人たちを助けるか?
もちろん、たくさん寄付するだろう。
しかしそれも、結局はお金というシステムを変える事には至っていない。
また、人間というものは案外残酷で、他人のことを知らんぷりできてしまうものだ。
自分自身、こうしたことを考えていても、つい自分の利益を守って、他人を傷つけていることもあるだろう。
だからこそ、システム自体を見直す必要があるのではないだろうか。
ミニマリストと呼ばれる人々がつい最近増えたのも、「もうお金を中心に回る社会っておかしいし、厳しくないか?」と心のどこかで違和感を覚えている人が多いからだろう。
もちろん、お金があるおかげで、社会がうまく回っている点もあるだろう。
お金が一切ない社会を目指すのではない。
ただ、お金至上主義社会に対して、新しいシステムを作れば、より今の発展を生かして、人々が豊かに生きていける可能性が高まるのではないだろうか。
今すぐに、システムが変わることはおそらくないと思う。しかし、今後20年経ったらどうなるかはわからない。ネットに親しんでいる、柔軟な人々が増えるからだ。
物々交換の時代から、お金というバーチャルな存在を作り、人類は発展した。
そして、歴史上でも稀に見る進化を遂げる現代。
今一度、お金というものと、社会のあり方について考えるべき時期に来ているのではないだろうか。